幸せな時間の裏側で

2005年4月25日。この日はJR福知山線が脱線し、乗客・運転士合わせて107名もの命が奪われた日。

その日、結婚を10日後に控えた私は、社会保険の任意継続手続きをした後、通帳の解約手続きに銀行を訪れていました。

事故を知ったのは銀行での手続きの待ち時間。ふと見上げた銀行のテレビに、原形がどうだったのかさえ分からなくなった列車の先頭部分が映し出されていました。

一体どうなったら列車がこうなるのか。映しだされた惨状が”大惨事”だということは分かっても、人は想像もしていない事が起こると訳の分からないことをするものです。

思わず立ち上がり、混み合っている銀行の中をキョロキョロ見渡した私。とても不審な動きだったのでしょう。銀行のスタッフの方に「ご気分でも悪いのですか」と尋ねられました。

自分は結婚が決まり、新生活に夢をふくらませている幸せな時間。その時間の裏側で、ある人は傷を負い、ある人は夢を絶たれたのです。

その後の報道では、運転士の相次ぐ運転ミスやJR西日本の利益優先の経営体質、乗務員に懲罰的な日勤教育が科されていたことが指摘されました。

他国を旅行すると、日本が時間に対して異常なほど正確であることに気づきます。

公共機関が遅れると「自分の予定が狂ってしまう」と愚痴を言い、「時間通り」ということが当たり前。あまりに普通過ぎて、本当はそれが”特別”で、毎日守るということがいかに大変な神経を使っているのか、ということに気づかなくなっているのです。

あの日、列車は直前の停車駅である伊丹駅を1分30秒遅れで発車したと言います。あのカーブを無事に通過したとしても、結果的に遅れを取り戻せたかどうかは分かりません

その時、乗客はどんな反応をしたでしょう。文句を言わなかったでしょうか。

事故が起こってしまったからこそ「そこまで急がなくても良かった」と言えるだけなのではないでしょうか。

あの事故から11年。

まだ公共機関の遅延で、車掌に罵声を浴びせた、車体を蹴ったなどというニュースは続いています。

そんなニュースを耳にする度に、あの日、停まってしまった多くの命や大切な人を失った遺族は、何を思うだろうかと考えます。

結婚し、子供を2人授かった私は、彼らから「心の余裕と寛容さ」を教えて貰ったように思います。その気持ちは、我が子にも伝えていきたいのです。

今、車窓から見える景色が一瞬にして消えてしまわないように・・・。

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